『ひよっこ』から『オリンピックの身代金』、そしてインドへ——高度経済成長期の「光と影」を現地で知った日
はじめに:『ひよっこ』の再放送を見て蘇った、ある記憶
先日、テレビでNHK朝ドラ『ひよっこ』の再放送を観ていました。
画面に映し出されていたのは、沢村一樹さん演じる、ヒロインの父親・実(みのる)が、東京の建設現場での出稼ぎを終え、故郷である茨城の農家へ帰郷する場面でした。
家族のために出稼ぎに出て、お土産とともに帰ってくる父親。
高度経済成長期の切なくも温かい家族の情景に胸を打たれるのと同時に、私の頭にはある一冊の本と、かつて過ごしたインドの風景が鮮明に蘇ってきました。
それは、インド駐在時に読んだ奥田英朗氏の小説『オリンピックの身代金』と、2018年当時のインドの街並みです。

オリンピックの身代金 奥田英朗 著
高度経済成長期の「温かな日常」を描く『ひよっこ』
NHK連続テレビ小説『ひよっこ』は、1964年の東京オリンピック前後の時代を舞台に、茨城県の農村から上京したヒロイン・谷田部みね子が力強く生きていく姿を描いた名作です。
物語の起点となるのは、まさに1964年の東京。
オリンピック開幕に向けて新幹線や高速道路、競技場の建設が急ピッチで進む中、日本全国の農村部から多くの人々が建設作業者や工場の集団就職者として東京へと向かいました。
ドラマで描かれるのは、貧しくても家族を思いやり、真面目に働く人々の温かな絆です。
出稼ぎに出る父親の姿は、当時の日本を足元から支えていた名もなき市井の人々の象徴でもありました。
しかし、この「温かな日常」のすぐ隣には、もう一つの現実が存在していました。
「光」の裏にある「影」を告発する『オリンピックの身代金』
『ひよっこ』と同じ1964年の東京オリンピック開幕直前を舞台にしながら、まったく異なる内容を扱っているのが小説『オリンピックの身代金』です。
主人公・島崎国男は、自らも山谷のドヤ街で日雇い労働者として建設現場に立ち、愕然とします。
そこでは、日本がオリンピックを通じて、国際舞台に華々しく登場する裏で、劣悪な環境と過酷な労働に晒され、使い捨てにされていく労働者たちの非人道的な現実でした。
「国家の繁栄は、地方と弱者の犠牲の上に成り立つ」
——強い憤りを抱いた島崎は、国家へ牙を剥き、オリンピック妨害を狙った爆破予告と身代金要求を行います。
『ひよっこ』が高度経済成長期の「光」や温かさを映し出しているとすれば、『オリンピックの身代金』はその輝く光が作り出した「影」を描いた作品でした。
2018年のインドで目の当たりにした、1964年の東京の姿
私がこの『オリンピックの身代金』を読んでいたのは2018年、インドに駐在していた頃のことです。
当時のインドは、まさに目覚ましい経済成長の真っ只中にありました。
各地で大規模なインフラ工事や高層ビルの建設が急速に進められ、街全体が熱気に包まれていました。
アパートの窓や移動中の車窓からふと外を見ると、地方から出てきたと思われる労働者たちが、ヘルメットや安全靴すら満足につけず、手作業に近い形で過酷な建設現場で汗を流している姿が目に入ります。
その光景を見ながら『オリンピックの身代金』を開いたとき、私の頭の中で、1964年の東京と2018年のインドが完全に重なりました。
半世紀前の日本で起きていたことと、目の前のインドで起きていること。
「国が豊かになる」「国際舞台で脚光を浴びる」という華やかな表舞台の裏には、いつの時代も、どの国でも、劣悪な環境で黙々とインフラを築き上げる無数の労働者たちが存在する。
小説の中の出来事ではなく、「これが世界の現実なのだ」と理解できた(現実に直面した)瞬間でした。
おわりに:どの国・どの時代でも、表の繁栄を裏で支える人々がいる
ドラマ『ひよっこ』の温かな帰郷のシーンから始まった私の思考は、小説『オリンピックの身代金』を経由し、2018年に見たインドの熱気と泥臭い労働現場へと行き着きました。
華やかな経済成長を謳歌する人々がいる一方で、その足元を支えるために人知れず汗を流す人々がいる。
これは特定の国や過去の歴史に限った話ではなく、現代のあらゆる成長や便宜の裏側にも形を変えて存在している「構造」です。
テレビの画面越しに見た1964年の日本の姿は、遠い昔の懐かしい風景であると同時に、私たちが忘れてはならない「繁栄の影」を静かに問いかけている気がします。

