インドにおけるシク教徒の課題(カナダにおけるニジャール氏殺害に関して)
インドとカナダの外交問題に発展したシク教徒殺害疑惑の歴史的背景を説明することが目的です。
2023年6月18日 カナダ・バンクーバー郊外で、シク教徒のカナダ市民、ハーディープ・シン・ニジャール氏(1997年にカナダに移住し、2007年には市民権も取得)がシク寺院から出た時に、殺害されました。
ニジャール氏は、インド・パンジャブ州に独立国家「カリスタン」を樹立するための運動のリーダーです。
「カリスタン」運動はインドのパンジャブ地方にシク教徒の独立国家創設をめざす運動で、インド政府としては反政府分子となります。
二ジャール氏は、その過激派とつながっていたとしてインドで有罪判決を受けた「テロリスト」でした。
目次
インドにおける宗教と政治
インドにおける宗教比率は、2011年国勢調査によると
- ヒンドゥー教徒79.8%
- イスラム教徒14.2%
- キリスト教徒2.3%
- シク教徒1.7%
- 仏教徒0.7%
- ジャイナ教徒0.4%
となっています。
今回殺害されたニジャール氏はシク教徒です。インド国内では2%弱の割合なので、脅威に感じる程ではないのでしょうか?
しかし、政治的なことをみると、現在のモディ首相の出身母体であるBJPは「ヒンズー至上主義」を掲げています。
ナレンドラ・モディ
ナレンドラ・モディ Wikipedia
モディが属する人民党はヒンドゥー教の規範を統治原理にし、日本では「ヒンドゥー至上主義政党」と呼ばれている。略称のBJPは、「Bharatiya(インドを示す古来の名称)Janata(人民)Party」の頭文字である。そして党の基盤となっているのが、国父ガンジーの暗殺者、ナトラム・ゴドセを出したヒンドゥー至上主義の極右・ファシスト団体民族義勇団(RSS)であり、モディもこのRSSの元活動家である
BJPはヒンドゥー教の教えを基本姿勢としており、他の宗教の教えは認めない、という考え方ですが、実際は表立って過激な行動は起きていません。
しかし、宗教割合で2番目に多いイスラム教徒に対しては、牛肉の生産(国内で牛の屠殺)の禁止をする「牛肉禁止令」を2015年に発令しています。
その結果、イスラム教徒の牛肉生産者の多くは廃業することになりました。
シク教徒とは?(宗教的説明)
シク教は、15世紀末にグル・ナーナクがインドで始めた宗教。シクはサンスクリット語の「シクシャー」に由来する語で、弟子を意味する。それにより教徒達はグル・ナーナクの弟子であることを表明している(グルとは導師または聖者という意味である)。
総本山はインドのパンジャーブ州のアムリトサルに所在するハリマンディル(ゴールデン・テンプル、黄金寺院)。寺院の周辺には大理石の板が敷き詰められていて寄進者の名前が刻印されている。
シク教の教義は宗教家であるグル・ナーナクによる『グル・グラント・サーヒブ』『ジャブジー』『アーサー・ディー・ヴァール』などの詩歌によって伝えられており、敬虔な教徒は毎日これらを朗踊する。
儀式、偶像崇拝、苦行、ヨーガ(ハタ・ヨーガの意味)、カースト、出家、迷信を否定し、世俗の職業に就いてそれに真摯に励むことを重んじる。戒律は開祖の時はなかったが、第10代グル・ゴーヴィンド・シングによってタバコ・アルコール飲料・麻薬が禁止された。肉食は本人の自由に任されている。寺院での食事は菜食主義者に敬意を表して肉は供されない。
ターバンを巻いたシク教徒を多く見かける。原則として髪の毛と髭を切らず、頭にターバンを着用する習慣がある。女性も髪を切らないのでロングヘアーにしている。
男性はシン(ライオン)、女性はカウル(王女)という名前を持つ。
シク教 Wikipedia
シク教徒とは?(政治的側面)
1801年、ランジート・シンは首都をラホールに定めてシク教国を建国しました。しかし1839年にランジート・シンが死亡するとイギリスがこの混乱を見て介入を開始します。
1845-46年の第一次シク戦争でシク教国は敗北し、ラホール条約によってカシミールやパンジャブの東半分をイギリスに奪われました。さらにイギリスの支配に反発した民衆は反乱を起こし、1848年には第二次シク戦争が勃発。この戦争も翌1849年にはシク側の敗北に終わり、全パンジャーブが英領になってシク教国は滅びました。
英領時代
シク教は独立国「カーリスターン」の建国を望み、1940年及び1944年には正式にその要求がなされました。しかし、当時のパンジャブ州の人口のうちシク教徒は10%未満にとどまっており、50%以上のムスリムや40%弱を占めるヒンドゥー教徒を無視して建国を行うことは不可能でした。
インド独立
独立したインドはジャワハルラール・ネルーのもと政教分離を国是として掲げます。これはインドが多数の宗教をとにもかくにも共存させる姿勢を取ったことを意味し、少数派たるシク教が迫害されるようなことはありませんでした。一方でこれは宗教上の理由での分離運動を認めないことを意味したため、独立国や自治権の拡大を望んだシク教徒の一部とは対立することとなりました。
黄金寺院事件
1980年代に入るとシク急進派は反対派に対するテロを頻発させるようになり、パンジャブの治安が悪化。これに対しインド政府は1983年10月にパンジャブ州を州政府から大統領直接統治下に移したが情勢は好転しませんでした。1984年にはシク教徒の聖地・黄金寺院にたてこもるビンドランワレと過激派を排除するためインド政府軍を投入してブルースター作戦(黄金寺院事件)を起こし、6月6日にビンドランワレを殺害しました。
この事件はシク教徒の強い反発を招き、1984年10月31日にはシク教徒の警護警官により、インディラ・ガンディー首相が暗殺されました。さらにこの暗殺はヒンドゥー教徒側を激怒させ、インド各地でシク教徒への迫害が行われています。
シク教徒は1801年からシク独立国家設立を目指しており、その活動は220年以上経過した現在でも継続しています。
ハーディープ・シン・ニジャール氏の殺害のまとめ
カナダにおけるニジャール氏の殺害の歴史的・政治的背景をまとめると、
- シク教徒は220年以上前から、インド国内・パンジャブ州でシク独立国家(カリスタン)を目指していた。
- 現在でも、そのカリスタン運動は継続している
- インド現政権のモディ首相が所属するBJP(ヒンディー至上主義)としては、ヒンディー教以外が、インド国内で勢力を持つことは死活問題であり、絶対に防がなくてはならない。
ここまでは、歴史的事実ですが、ニジャール氏の殺害が、インド政府が関与していたのか?否かは、現在(2023年10月)は不明です。
インド・カナダ間の外交問題が早急に解決することを願っています。