『「黒人」は存在しない。』― 肌の色を超えた人間の多様性 とステレオタイプの危険性
私は異文化理解に強い興味があり、ホフステード文化6次元を学ぶ機会を得ました。
また過去にアメリカ、タイ、インドでの会社で駐在した経験から、国々の文化の違いを理解することはとても面白いことと感じています。

「黒人」は存在しない」 ~アイデンティティの釘付けについて ~
タニア・ド・モンテーニュ著
中央公論新社
この本のタイトルを見た時、「?」という疑問がありました。何を意味するのか?
白人、黄色が存在すると同時に、黒人もいます。が、「存在しない」とは何?? という疑問を解決したく、下記をまとめてみました。
はじめに
「黒人は存在しない」という言葉に込められた意味を理解するには、まず「黒人」という言葉がどれほど曖昧で誤解を招くものかを知る必要があります。
私たちが普段耳にする「黒人」という表現は、実際には非常に多様な文化や背景を持つ人々を一括りにするものであり、決して正確な区分ではありません。
肌の色による区別が、いかに私たちの思考を制限し、真の多様性を理解する上で障害となっているのかを考えさせられます。
この本では、肌の色で人々を一括りにすることの無意味さを考え、黒人という言葉が持つ誤解について説明しています。また、「黒人」という枠組みにとらわれず、個々の人間としての違いや多様性を尊重することの大切さについても触れていきたいと思います。
日本における「日本人」の定義
日本という島国に住む私たちは、「日本人」とは何かという問いを考える機会が多いと思います。
日本は陸続きの国境を持たないため、自然と「日本人」という概念が強固に存在してきました。
大多数の日本人が日本語を話し、日本の文化に根ざして生活していることから、肌の色や外見、行動が「日本人らしさ」を決める基準とされがちです。
しかし、日本人という定義は、時間と共に変化してきました。
その変化を象徴する例がいくつかあります。
例えば、(これは私の個人的理解ですが)元プロ野球選手で、現在はメジャーリーグに所属しているダルビッシュ有選手の活躍を見てみましょう。ダルビッシュ選手はイラン系の父親を持ちながらも、日本で生まれ育ち、日本代表として活躍しています。
彼が活躍することで、「日本人らしさ」の定義が、単に外見や血統だけでなく、国籍や貢献度にまで広がりました。
また、ラグビーワールドカップにおいて、日本代表チームには多くの元外国籍選手が活躍しました。特にキャプテンを務めたリーチマイケル選手は、2013年に日本国籍を取得し、日本代表として大きな功績を残しました。
こうした事例は、単に外見や出生地に縛られない新たな「日本人像」を提示しており、私たちの「日本人」の定義が広がり、より多様化していることを示しています。
ブラックミュージックとその誤解
「ブラックミュージック」という言葉には、少し誤解が含まれています。黒人が歌う音楽だからこそ「ブラックミュージック」だと考えられがちですが、それは正確ではありません。
ブラックミュージックとは、歴史的にアフリカ系アメリカ人が作り上げた音楽のジャンルであり、ジャズ、ブルース、ソウル、R&Bなどが含まれます。
しかし、これらの音楽ジャンルは、単に「黒人が歌うからブラックミュージック」というわけではなく、音楽のスタイルや歴史的な背景が重要です。
ブラックミュージックを歌う人が必ずしも黒人である必要はなく、例えば白人アーティストでもそのジャンルを継承し、表現することが可能です。
この誤解が生まれる背景には、音楽を聴く人々が持つ「黒人=特定の音楽」という固定観念があるからです。
ブラックミュージックは、音楽そのものが持つ深い意味や文化を理解することが重要であり、その意味を超えて肌の色で区別することには意味がないことを再認識する必要があります。
「黒人」という言葉とそのステレオタイプ
「黒人」という言葉には、さまざまなステレオタイプがついて回ります。
例えば、黒人はダンスが得意だとか、走るのが速い、あるいは大声で話すといった特徴がよく挙げられます。
しかし、これらの特徴は黒人全体を代表するものではなく、単なる一部の人々に当てはまるものに過ぎません。実際には、肌が黒い人々にもさまざまな性格や個性、文化的背景があり、すべての黒人に共通する特徴は存在しません。
また、肌の色が黒い人々には多くの国籍があり、アメリカ、アフリカ諸国、カリブ諸国、南アメリカなど、各地で異なる文化を背景に持つ人々が存在します。
それにもかかわらず、今でもこれらの人々をまとめて「黒人」と呼ぶことが多いですが、このような区別はあまりにも簡略化された見方に過ぎません。 肌の色で一括りにすることが、いかに不正確で不公平なことかを再認識するべきです。
肌の色を越えて―多様性を尊重する社会を目指して
私たちが肌の色で他者を区別することには、大きな問題があります。
それは、個々の違いや文化を尊重する社会を築くためには、まず「黒人」や「白人」などの枠を超えて、すべての人を一人の個人として見ることが大切だからです。
肌の色で人をカテゴライズすることは、偏見を生み、不必要な対立を招くことになります。
現代社会では、ますます多様性が重視されています。
肌の色、国籍、性別、宗教など、さまざまな背景を持った人々が共に生活し、働く時代です。偏見をなくし、すべての人を平等に尊重することが、より良い社会を作る鍵となるでしょう。
まとめ
「黒人は存在しない」という言葉が示唆するのは、肌の色で人を一括りにすることの無意味さです。
肌の色が黒い人々を「黒人」と呼ぶことが、どれほど誤解を招くか、そして個々の多様性を無視することになるかを理解することが大切です。
これを肌の色が黄色い私に適応してみると、「東アジア人」「東南アジア人」とよばれるのでしょうか?
東アジアでも中国、台湾、韓国、北朝鮮、モンゴル、そして日本が対象です。これらの国はそれぞれの文化、言語、その国の価値観を持っています。
これらの国を一括りに「東アジア人」と呼ばれたら、「いいえ、私は日本人です」と言いたいです。
と同様のことを、私は過去に「黒人」「白人」という一般通称を使っていました。
東アジア人が存在しないのと同様に、黒人は存在しないという事実を改めて理解しました。
私たちは、肌の色に縛られることなく、すべての人々を尊重し、理解することによって、真の平等と共生の社会を作り上げることができるのです。