頼ることの難しさ――『平場の月』より感じた大人の恋の現実
※この記事は2025年11月末に書いたものです
大人の恋が映し出す“生き方”

『平場の月』 浅倉かすみ 著
浅倉かすみ著『平場の月』は、大人になればなるほど複雑になる恋や人生の在り方を静かに照らし出す作品です。
映画公開からまだ日が浅いため詳細には触れませんが、この物語が描く“人生後半の愛し方”について感じたことを書いてみたいと思います。
主人公たちは私より少し若い世代ではありますが、「大人」の読者にこそ深く響くテーマが詰まっています。
それは、年齢を重ねたからこそ生まれる“心の距離感”や“生き方の癖”が、恋愛にどのように影響するかということです。
強さの裏にある須藤の孤独
須藤という女性は、自分をよく理解しており、過去の経験から「自分の人生は自分で立つ」という強い意思を持っています。
これは多くの大人が一度は手にした価値観ではないでしょうか。
仕事や家庭、親の介護など、人生の負荷を自分で背負ってきた人ほど、頼ることのハードルは高くなります。
強く生きることは尊いですが、その強さには時として“孤独”が付いてまわります。
辛い時ほど誰かに寄りかかるのではなく、むしろ一人で抱え込んでしまう――。
須藤の生き方は、そのような大人ならではの矛盾と痛みを映しているように感じました。
支えたいのに頼れない、不器用な関係
青砥は、須藤の力になりたい、支えたいという思いを強く持っています。
しかし、支える側に立つ人ほど、弱さを見せることにためらいが生まれます。
「相手に負担をかけたくない」「自分の弱さを見せると関係が変わってしまうのでは」――そんな思いが無意識に働いてしまいます。
一方の須藤も、自分の弱みを見せることが得意ではありません。
大人になると、痛みや迷いをさらけ出すことが若い頃よりずっと難しくなります。
お互いを想っているのに、その想い方がすれ違ってしまう。
この“想いの不器用さ”こそ、大人の恋の特徴なのかもしれません。
人生後半に訪れるすれ違いの本質
お互いを思いやるからこそ、意地を張り、我が出てしまう。
これは若い恋のすれ違いとは質が違います。人生経験があるからこそ、折れ方を忘れ、譲り方が難しくなるのです。
「少し頼ればよかった」「もっと弱さを出せばよかった」
大人になってからの後悔は、若い頃よりも重く胸に残ります。
ふたりの間に積み重なった小さなすれ違いが、やがて大きな結論を呼び寄せてしまう。
その過程は、大人が生きていく上で避けられない“人生の縮図”のようにも感じました。
もし、ほんの一歩だけ歩み寄っていたら、別の結末があったのかもしれません。
しかし、それでも悲しみは消えなかっただろうと思うのは、ふたりがそれぞれの人生を背負って生きてきたからです。
“悲しさ”の先に残る、静かなメッセージ
大人の恋は、楽しいだけではありません。
過去の傷、価値観、人生の選択が折り重なり、関係そのものに深みと影が生まれます。
それでもなお人は、誰かを想おうとする。
『平場の月』はその姿を静かに、淡く描いています。
誰かを愛することの難しさ、頼ることの勇気、不器用な人生を抱えながらも前へ進む強さ。
そのすべてが、この物語には流れています。
「大人」の人生を歩んできた読者の方々には、恋愛という枠を超え、「人としてどう生きるか」という問いとして、この作品が深く響くのではないでしょうか。
次の週末に、映画を見に行きます。
堺雅人の頼りない青砥、井川遥の自立する須藤を楽しみにしています。
この小説の場面設定は、東武東上線(東京都池袋駅から埼玉県寄居駅まで)を舞台にしています。
まさに私が住んでいる場所がこの小説の「聖地?」です。
スーパーなどの固有名詞が、今私が使っているスーパーと同じです!

