「管理」を手放す勇気はあるか?――昭和型マネジメントの私は、『手放す経営』で自分の「見栄」を手放せるか?
「理想論だろう」と高をくくっていた私の大きな誤解
「管理を手放したら、組織が勝手に動き出す」
そんな言葉を初めて耳にしたとき、長年サラリーマンとして、そして管理職として組織の現場に身を置いてきた私の頭に浮かんだのは、「また都合のいい理想論か」という冷ややかな疑念でした。
手放す経営ラボラトリーの活動については、以前知人からフォーラムの評判を聞いてはいました。しかし、昭和・平成の(自称)モーレツな企業社会をくぐり抜けてきた人間からすれば、「言うは易し、行うは難し」としか思えませんでした。
目標管理、進捗管理、規律と評価――そうした枠組みなしに組織が回るはずがない、現実はそんなに甘くない。そうした先入観が先に立ち、正直に言えば、どこか他人事として聞き流していたのです。
そんなある日、信頼を寄せている中尾さんのFacebook投稿で、坂東放レ孝浩(ばんどう・はなれ)さんの書かれた『手放す経営』が紹介されているのを目にしました。
中尾さんがそこまで言うなら、と軽い気持ちでページをめくってみたのですが、読み進めるうちに広がっていたのは、昭和とは真逆の世界でした。
そこにあったのは、耳当たりの良いマネジメントの最新トレンドなどではなく、長年「管理すること」を自分の存在意義にしてきた私たちの急所を、真正面から突いてくる生々しい現実でした。

手放す経営 坂東放レ 著
「手放す」とは、部下を放り出すことではなく「自分の見栄」を捨てること
昭和の感覚からすると、「手放す」という言葉にはどうしても「職務放棄」や「現実逃避」、あるいは「責任から逃げる」といったネガティブな響きがつきまといます。
仕事を部下に丸投げして責任を取らない上司を、私たちは何人も見てきましたし、自分自身もそう見られることだけは頑なに避けてきました。
しかし、坂東さんの言葉を噛みしめるうちに、私の「手放す」に対する認識は180度覆されました。
手放すとは、現実から目を背けることではありません。むしろ逆です。
自分の奥底にある「価値観」と容赦なく向き合い、それを捨てる作業なのです。
特に40代、50代の管理職にとって、手放さなければならないものの筆頭は、仕事の手順ではなく「無意識の思い込み」や「ちっぽけな見栄」、そして「組織図の上位に座っているという特権意識」です。
何かと会社や上司に文句を言う部下を見て、「近頃の若い連中は……」と愚痴をこぼした経験は誰にでもあるはずです。
しかし、そもそも「部下が文句を言っている」と捉えること自体が、管理者の傲慢ではないでしょうか。
「オレが正しく導いてやっているのに、なぜ従わないのか」という上から目線があるからこそ、相手の率直な意見が「文句」に聞こえてしまうのです。
「職場の心理的安全性をつくろう」「部下がご機嫌に働ける環境を」と口では言いながら、肝心の自分自身が何をご機嫌と感じ、何を恐れているのかすら分かっていない。
職場の1on1では、部下の話を聞き終わらないうちに、長年の自分経験から導き出した「アドバイス」を語り、これで部下には適切な指示ができた、と自己満足に浸る。
そんな昭和管理職にとって、手放すとは、そうした自分自身の浅ましさや欺瞞を白日のもとに晒し、自ら厳しい環境に身を置く覚悟を決めることなのだと痛感しました。
自分より優秀な部下と組めるか?――心に刺さった「影が薄くなる恐怖」
本書の中で、私の胸を深くえぐった問いがあります。
「もし自分よりも知識があり、考え方も深く、マネジメントも長けている人が目の前に現れたとき、あなたはその人と心から組めますか?」
会社の成果やチームの将来を考えれば、答えは「組むべき」に決まっています。頭では百も承知です。しかし、本音のところはどうでしょうか。
「彼(彼女)と組んだら、自分の影が薄くなってしまうのではないか」
「自分の居場所や存在意義が奪われてしまうのではないか」
そんなみっともない嫉妬や保身の不安が、心のどこかにチクリと顔を出さないと言い切れる人が、世の管理職の中にどれだけいるでしょうか。
私自身、過去のビジネス人生を振り返っても、こうした恐れを誰かに打ち明けたことなど一度もありませんでした。
ところが坂東さんもまた、かつてはそうした弱さを他人に明かせなかったと率直に告白されています。
手放す経営ラボを立ち上げる際、気合満点のスピーチをぶったものの、周囲からは「全然伝わってこない」と酷評され、逃げ出したくなったというエピソードには、思わず膝を打ちました。
古いOSを捨てきれない私たち――「アップデート中止」を押したくなる葛藤
本書では、手放す経営へのシフトを「経営者や管理職のOSのアップデート」と表現しています。
実に的確なたとえです。
しかし、長年使い慣れた古いOSに浸かりきってきた身からすると、いざアップデートが始まって自分の権限や役割が消えかかった瞬間に、思わず「アップデート中止」のボタンを連打してしまいたくなる。
その生々しい葛藤に、私は深い共感を覚えずにはいられませんでした。
私たちは右肩上がりの工業生産モデル、つまり「上の指示通りに全員が一律に動くこと」が正解だった時代にどっぷり浸かって育ちました。
しかし、現在求められているのは、持続可能で多様な価値観を活かす組織です。
頭では時代の変化を理解していても、骨の髄まで染みついた「指示権を握りしめる癖」は、そう簡単には抜けないものなのです。
お金と情報を透明にしたとき、初めて人は「当事者」になる
では、精神論として自分の見栄を手放すとして、実際の仕組みとして組織を自走させるには何が必要なのか。
本書が提示する方程式は明快でした。
「手放す=情報の透明化」です。
特に私の理解が深まったのは、「お金の仕組みの透明化」に関する具体例でした。
たとえば、入金された売上のうち5%を利益とし、10%を会社維持のための内部留保とする。そして残りの85%を経費枠とする。
この経費枠の中から、オフィスの賃料や仕入れなどの固定経費を払い、給与を払い、それでもなお残った資金が出たら、それを決めたルールに従ってメンバーの賞与や給与として再配分する。
このように、会社の生々しい台帳をガラス張りにした途端、会社のお金は経営者だけのものではなく、全メンバーにとっての「自分事」に変わります。
自分の給与の原資はどこから生まれ、どうやって支払われているのか。
会社の数字が見えないからこそ、社員は「会社はもっと給料を払えるはずだ」「なぜあの経費が認められないのか」と不満を募らせます。
しかし、入ってくるお金と出ていくお金が完全に可視化されれば、無駄なコストを削ることも、売上を伸ばす工夫をすることも、すべて自分たちの取り分に直結する生きた課題になります。
管理されない組織において最も大切なのは、「自分ができないことを無理に抱え込むのではなく、自分の得意なことに特化して組織に貢献すること」です。
得意なことで仲間に感謝され、その成果が透明な仕組みを通じてダイレクトに自分に還ってくる。
これこそが、社員が会社を心から好きになり、自律的に働き続けられる本質ではないでしょうか。
管理を手放したあと、管理職・経営者には何が残るのか?
指示も出さない、評価も細かくつけない、お金の管理も透明化して全員で決める。
そこまで読み進めたとき、長年マネジメントを生業にしてきた私の中に、拭い去れない大きな問いが湧き上がってきました。
「だとしたら、管理職や社長という人間は、一体何のために存在するのか?」
自分の仕事が根こそぎなくなってしまうような、言い知れぬ空虚感と恐怖です。
しかし幸いなことに、その答えは本の終盤にしっかりと記されていました。
「経営者とは、問い続ける人である」
会社はどうありたいのか。
自分は何を成し遂げたいのか。
そして、私たちは何のためにここに集まっているのか。
業務の細かい舵取りを手放した後に残るリーダーの仕事とは、答えを与えることではなく、本質的な「問い」を組織に投げかけ、自らも考え続けることなのだと坂東さんは説きます。
本を読み進めてきて、理屈は分かりました。
しかし同時に、実務のコントロールを手放し、正解のない「問い」を抱え続けるという苦しみを、自分はどこまで耐え抜くことができるだろうか。
そう自問したとき、正直に申し上げて、私の中には今なお100%納得しきれていない、引き裂かれるような葛藤が残っています。
おわりに――100%納得できないからこそ、問い続けたい
現在、私はサラリーマン人生を卒業し、小さな会社で気心の知れた少人数の仲間とともに仕事をしています。
社員はおらず(1人親方です)、仲間とはお互いに「業務委託契約」で結ばれています。つまり、サラリーマン時代とは環境は全く異なります。
ですから関係性は、上司・部下ではなく、かつてのような「管理」はありません。それぞれが得意分野で自分のやるべきことをやっています。
この状態は、ある意味では、図らずも「手放す経営」の小さな実践者になっているのかもしれません。でも、これは組織ではなく、別々の組織のメンバーが集まって業務を推進しているからかも、と思います。
しかし、もしこの関係性(業務委託契約が前提)で、メンバーが10名、30名、50名になったとき、メンバーそれぞれに対して、私は今と同じように「手放した状態」を維持できるでしょうか。
不安に駆られて、かつて自分が慣れ親しんだ「管理の縄」を、再び彼らの首にかけてしまいはしないでしょうか。
100%の確信など、今はありません。
しかし、その不安や迷いから逃げずに、「自分は何のためにここにいるのか」を問い続けることこそが、これからの私の仕事なのだと思います。
長年、管理職という重い鎧を着込んで戦ってきた同世代の皆さん。
そろそろ、その鎧を一枚脱ぎ捨てて、組織のあり方と自分自身の生き方を根本から見つめ直してみませんか。
『手放す経営』は、昭和を駆け抜けた私たちにこそ、刺さる一冊です。


