部下の前で「わかりません」と言えますか ――『「人の器」の磨き方』を読んで
「器」と聞いて、私はまず組織を思い浮かべた
「器」という言葉を耳にしたとき、私が真っ先に考えたのは「組織の器」でした。
組織には実に多様な人間が集まります。バックグラウンドも違えば、価値観も能力も違う。そうした一人ひとりを丸ごと受け止め、活かせるだけの大きな器が組織にあれば、会社はおのずと成長していく――。
サラリーマン生活を長く送る中で、私はこれを一つの持論として疑いませんでした。
ところが今回手に取った書籍『「人の器」の磨き方』は、組織の仕組みではなく、そこに入る「人そのものの器」について真正面から論じた一冊でした。

「人の器」の磨き方 リーダーシップ・コーチングと成人発達理論による人間力の変容プロセス
加藤 洋平 中竹 竜二 著
言われてみれば、至極当たり前のことです。器の小さな人間ばかりが集まった組織が、どうして大きな器を持てるはずがありません。
私は長年、順番を逆に取り違えていたのかもしれないと、少し冷や汗をかきながらページをめくりました。
本書は、元早稲田大学ラグビー部監督としてチームを日本一へ導いた中竹竜二さんが現場の生きた事例を語り、成人発達理論の専門家である加藤洋平さんがそれを理論で裏付けていくという構成になっています。
AIが急速に普及するこれからの時代において、人間に残るものは何か。
それは、自ら本質的な問いを立て、他者や未知の世界と行き来する力であり、その入れ物である「器」をどう広げ続けるか。
これが本書の大きなテーマです。
しかも器には完成がありません。常に広げ続けるしかないのだと、本書は静かに語りかけてきます。
自主性と主体性は、似て非なるものだった
読み進める中で、まずハッとさせられたのが「自主性」と「主体性」の決定的な違いでした。
- 自主性:決められたルールや枠組みの中で、言われる前にきちんとやること。
- 主体性:決まっていない不確実なことに対して、自らリスクを負って挑戦すること。
私は長いこと、この二つの言葉を同じ意味で使ってしまっていました。
「うちの若手はどうも主体性がない」と愚痴をこぼしながら、私が実際に部下に求めていたのは「指示される前に、こちらの意図を察してテキパキと動くこと」でした。
それは主体性ではありません。
主体性とは、「無理」からではなく「無力」から始めることだと本書は言います。
何もない、うまくいく保証もない状態から、自分の無力さを自覚しながらも勇気を持って手を挙げる。それでも動く。
当時、管理職としての私は、部下にそこまでの余地や裁量を与えていただろうか、失敗を受け止める覚悟を持っていただろうかと考え込みました。
中年の危機は、成功した人ほど深くやってくる
本書には「中年の危機」という言葉が出てきます。
40代を過ぎた頃から、それまで通用していた成功パターンや仕事の進め方が急に通用しなくなる時期のことです。
若い頃に成果を上げ、周囲から評価されて出世してきた人ほど、この罠にはまりやすいと言えます。
自分がうまくいったやり方を正しいと信じ、そのまま部下に押しつけてしまう。「オレが若かった頃はこうだった」「昔はこのやり方で成功した」――そう口にした瞬間、部下の心は冷め、対話は完全に止まってしまいます。
過去の実績や栄光は、今目の前にいる部下にとっても、変化の激しい現代の現場にとっても、何の保証にもなりません。
耳が痛い話です。
私自身にも思い当たる場面がいくつもあります。ではどうすればいいのか。
答えは、過去の成功パターンをいったん手放すことです。
否定するのではなく、「あの時代、あの環境だから通用したのだ」と認めたうえで、そっと引き出しの奥にしまうこと。
この「手放す勇気」を持てるかどうかが、40代以降の伸びしろを決めるのだと思います。
アンラーンとは、捨てることではなく「組み合わせ直すこと」
「手放す」と聞くと、これまでのキャリアや知識をすべて捨て去るように感じて、足がすくんでしまう人もいるかもしれません。
しかし、本書が説く「アンラーン(学びほぐし)」は、そういうことではありません。
新しい知識や手法を外から無理やり持ってきて上塗りするのでもない。これまで培ってきた既存のスキルと、新しく身につけた知見を組み合わせて、自分独自のやり方に「再構成(組み替え)」し、調整し直すこと。
これこそがアンラーンだと本書は説きます。
つまり、これまで積み上げてきたものは何一つ無駄にはなりません。持っている手札の組み合わせ方を変えるだけです。
この一節に、私は正直ずいぶん救われました。
40代、50代になって「ゼロからやり直せ」と言われても現実味がありませんが、「組み替える」のなら今日からでも手がつけられます。
他者のメガネをかける ―― 越境と逆境の効用
では、どうすれば器は広がるのか。
本書の答えは非常に明快です。それは「環境を変えること」です。
異動、出向、海外赴任、あるいは社外活動などの越境。
環境が変われば、思い通りにいかないことばかりです。逆境もあれば、自分がマイノリティ(少数派)になって孤独や葛藤を味わう経験もするでしょう。しかし、その摩擦のすべてが器を広げる最高の材料になります。
ここで大事なのが、新しい環境に行ったときに、自分の過去のモノサシだけで判断しないことです。その場所のメガネ、相手のメガネをかけてみる。すると「ああ、この人は世界をこういう風に見ているのか」と腑に落ちる瞬間が訪れます。
同質の仲間といるのは心地よいものです。しかしそこには必ず、疑われることのない「当たり前」が育ってしまいます。他者のメガネをかけることは、心地よい同質性から脱却し、自分の当たり前を疑う思考パターンをつくることに他なりません。
そして器とは、「大きくしてやろう」と力んで鍛える筋トレのようなものではなく、置かれた状況や役割、多様な他者との相互作用のなかで自然に組み替えられていくものです。
環境を変え、その環境に順応しようともがく過程で、「気づいたら広がってしまっていた」――そういうものなのです。
「わかりません。一緒に考えましょう」と言えるか
「上司たるもの、部下のどんな質問にも答えられなければならない」
「何でも知っていなければならない」
私たち昭和世代には、この前提が骨の髄まで染みついています。
しかし本書はそれを明確に否定します。
複雑で正解のない今の時代に、すべてを知っている人などどこにもいません。
「私もわかりません。だからこそ、一緒に考えましょう」
部下の前で、飾らずにこの一言が言えるかどうか。
これは自分自身の器の広さを示すと同時に、チームの中に「安心して本音で考えていいのだ」という空気(心理的安全性)をつくることでもあります。
世の中は完璧を求めがちですが、100%を演じ続ければ管理職のメンタルは持ちません。
わからないことをわからないと自分で認め、それを相手に開示する。
そこから初めて「では、これからどうしようか」という新しい問いがチーム全体に生まれます。
リーダーとは、答えを教える人ではなく、「部下の成長の余白をつくる人」です。
「この人はこんなこともできるのではないか」という仮説を持ち、答えではなく質の高い「問い」を手渡す。
これこそが本当のリーダーシップです。
内省とは、自分の影(シャドウ)に目を向けること
本書は内省(リフレクション)の大切さも深く説いています。
内省と聞くと、一日の終わりに業務の改善点を振り返る程度に思われがちですが、要するに「自分の弱さを見つめること」です。
自分の弱さやズルさ、コンプレックスといった「影(シャドウ)」を見るのは、正直に言って誰にとっても嫌な作業です。
できることなら蓋をして見過ごしたい。しかし、その影から目を背けずにじっと見つめて初めて、「自分はどんなときに恐れを抱き、何に対して過剰に反応してしまうのか」という心の癖がわかります。
自分の弱さがわかれば、それにどう向き合うかを考えられるようになり、同時に他者の弱さにも寛容になれます。
この痛みを伴う作業こそが、器の壁を押し広げるのです。
人の器が広がれば、組織の器も広がる
そして冒頭の話に戻ります。
一人ひとりの人の器が大きくなれば、その集合体である組織の器は自然と大きくなります。
チームワークとは、単に仲良く波風を立てないことではありません。チームの中で本音の対話ができる環境のことです。先輩も後輩も関係なく、「私はこう思うけれど、あなたのメガネにはどう見えているか」と語り続けられる。そういう組織が良い組織なのだと思います。
中竹さんは、器は「知る」「磨く」「強くする」「大きくする」という段階を経て育つと言います。
多くのメガネを持ち、多くの人生経験を積み、他人のメガネをかけてみること。
一つの場所にとどまらず、多くの人に会い、あえて違う環境に飛び込んで逆境を経験する。
そこで初めて人の器は磨かれ、大きくなっていくのだと理解しました。
おわりに ―― 順調でない今が、ありがたい
私自身、サラリーマン時代には転勤や環境の変化を経験し、現在は独立して自分で仕事をしています。お世辞にも「すべてが順調で思い通り」とは言えません。
しかし、この本を読みながら強く思ったのは、この「順調でない環境」こそが、自分の器を広げるために与えられた、ありがたいきっかけなのではないか、ということでした。
器を広げる営みに完成はなく、何歳になっても進み続けなければならない。
それは今の私に対する、温かいアドバイスそのものだと受け取りました。
もし、同世代の管理職の方に一つだけお伝えするなら、「『昔はこうだった』が口をついて出そうになったときが合図だ」ということです。
それは器が内側へ縮み始めた危険信号であると同時に、これまでの成功パターンを手放し、もう一段器を広げ直す絶好のチャンスが訪れた合図でもあるのですから。

