「タイパ・コスパ」で人は動かない――『青春の門』筑豊の男たちに学ぶ、部下の魂を揺さぶる「圧倒的な筋(軸)」の通し方

はじめに:洗練された現代のオフィスに足りない「泥臭い熱量」

コンプライアンス、心理的安全性、ロジカルシンキング、そして効率化――。

現代の企業マネジメントを彩る言葉は、どれもスマートで、洗練されています。

組織の中核を担う管理職の皆さんも、これらのフレームワークを駆使して日々「正しい選択」を積み重ねていることでしょう。

しかし、ふと立ち止まったとき、心のどこかで物足りなさや、乾きを感じることはありませんか。
「論理的には正しいはずなのに、なぜ部下の心が動かないのだろう」
「なぜ組織に一体感が生まれないのだろう」と。

その答えを探るヒントは、かつて日本の近代化を底辺から支えた、エネルギー産業の心臓部・福岡県「筑豊(ちくほう)」にあります。


先日、福岡県田川市にある取引先を訪問する機会がありました

その折に足を運んだ「田川市石炭・歴史博物館」、そしてそこから始まった五木寛之氏の代表作『青春の門 筑豊篇』との出会いは、現代のビジネスパーソンが忘れてしまった「人間の原初的なエネルギー(生命力)」を激しく揺り動かすものでした。

青春の門(第一部) 筑豊篇  五木寛之 著(講談社文庫)

現代の洗練されたオフィスに今、最も足りないもの。
それは、理屈を超えて人を惹きつける「泥臭い熱量」と「ブレない筋(軸)」なのです。

筑豊・田川に流れる「川筋気質」と、命を懸けて筋を通した男・伊吹重蔵

『青春の門 筑豊篇』を読了して誰もが抱くのは、「田川の男は筋(すじ)をもっている」という強烈な印象です。

作中の舞台である田川には、「川筋気質(かわすじかたぎ)」と呼ばれる風土が息づいています。

喧嘩早く、宵越しの金は持たない。
しかし、一度交わした約束や義理は、何があっても守り抜く――そんな荒々しくも情に厚い人間たちの世界です。

物語の序盤、主人公・伊吹信介の父である重蔵は、炭鉱の大事故に直面します。坑内に閉じ込められた朝鮮人徴用工たちを救うため、重蔵は自らダイナマイトを抱えて爆死する道を選びました。

損得勘定や合理主義、あるいは法律の枠組みだけで考えれば、彼の行動は「無謀な自己犠牲」と片付けられるかもしれません。しかし、重蔵にとっては、目の前の命を見捨てないことこそが「男の筋」でした。

そして、その宿敵でありながら重蔵の男気に惚れ込んだヤクザの組長・塙竜五郎もまた、「男の約束」として、残された妻子の後ろ盾となり、生涯支え続けます。

彼らを動かしているのは、現代のビジネス界が捨て去ろうとしている「義理と人情」、そして原始的なモラルです。

数字やKPIだけで部下をコントロールしようとする現代の管理職が、最も見失いがちな「血の通った情」が、ここにはあります。

部下は、上司の「正しいロジック」ではなく、その奥にある「人間としての筋」に命を預けるのです。

ユネスコ世界記憶遺産「山本作兵衛の炭坑画」が突きつける、剥き出しの生命力

また、現地で訪れた田川市石炭・歴史博物館の2階には、日本初のユネスコ「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録された、山本作兵衛氏の炭坑記録画が展示されていました。

14歳から50年以上にわたり坑夫として働いた作兵衛氏が、引退後に記憶を頼りに描いたその絵の数々は、言葉を失うほどの圧倒的なリアリティで迫ってきます。

狭く、暗く、いつ崩落するかもわからない過酷な坑内。
そこでは、男女がほぼ裸になって汗を流し、時には乳児を背負ったまま母親が採炭に励んでいました。

まさに『青春の門』で描かれた、タエや織江といった女性たちが生きた、過酷極まるヤマの日常そのものです。

この展示を前にして、私はびっくりしました。
そこにあるのは、綺麗事に買い叩かれない、人間の「剥き出しの生命力」だったからです。

私たちは今、冷房の効いた快適なオフィスで、パソコンの画面に向かって仕事をしています。しかし、その内実として、作兵衛氏の絵に描かれた坑夫たちほどの熱量を持って、日々の仕事に命を燃やしているでしょうか。

「生きるために、泥をすすってでも前へ進む」という、人間本来の底力が、システムや仕組みの中に埋没してはいないでしょうか。

管理職がこの「生命力」を失ったとき、組織はただの機能的な「箱」へと形骸化してしまいます。

「削られる香春岳(かわらだけ)」と現代の管理職:私たちは組織の都合に自分を明け渡していないか

物語は、有名な一行から始まります。

「香春岳(かわらだけ)は異様な山である。」

田川のシンボルである香春岳は、セメントの原料である石灰石を採掘するために、頂部から容赦なく削り取られ、異様な姿に変貌していきました。

五木寛之氏が繰り返し描写するこの山の姿は、日本の近代化や戦後復興という「国家の都合」のために使い潰されていった炭坑労働者たちの、傷だらけの生き様そのものの投影です。

この「削り取られる山」の姿は、現代の企業組織で生きる40代以上の管理職の姿にも重なって見えます。

上層部からの無理な要求と、部下からの不満の板挟みになり、コンプライアンスの縄に縛られながら、自らの個性や情熱を少しずつ削り取られていく――。組織に適応しようとするあまり、いつの間にか自分自身の「異様さ(=尖った個性や情熱)」を失い、平らな、都合の良い存在になってはいないでしょうか。

香春岳は、傷だらけになりながらも、なお筑豊の地に毅然とそびえ立ち、人々に圧倒的な存在感を示し続けました。

管理職もまた、組織の荒波に揉まれて傷つきながらも、自らの魂まで削り取らせてはなりません。
自分の中に、誰にも踏み込ませない「独自の軸」を持つこと。
それこそが、困難な時代を生き抜くリーダーの条件です。

おわりに:効率主義の時代だからこそ、心に「二本煙突」を立てよ

エネルギー革命によって石炭から石油へと時代が移り変わり、筑豊の炭鉱は閉山に追い込まれました。

田川市石炭・歴史博物館の周囲にある石炭記念公園には、今も、「旧三井田川鉱業所」の二本煙突と伊田竪坑櫓が当時の姿のまま残されています。

炭坑節に「煙突高けりゃさぞ煙かろ」と唄われたその煙突は、過酷な労働の中で生きた人々が、空を見上げるための道標(みちしるべ)でした。

現代のビジネス環境もまた、激しいDXや産業構造の転換という「革命」の真っただ中にあります。
古い仕組みは淘汰され、合理的なものだけが生き残る時代です。

しかし、だからこそ私たちは、『青春の門 筑豊篇』が描き出した「人間の情念」や「川筋の筋」を思い出す必要があります。

ロジックや効率だけで割り切れない「人間臭さ」を肯定し、部下の泥臭い努力に寄り添い、自らの生き方に一本の筋を通すこと。

40歳を過ぎた今こそ、あなたの心の中に、あのブレない「二本煙突」のような、堂々たる軸を立ててください。

その背中を見た部下たちは、きっと理屈抜きで、あなたというリーダーに付いてくるはずです。

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