『言葉が通じない』のではなく『前提が違う』―― 「〇時10分前」は何時? 世代間ギャップを埋める具体的なコミュニケーションの工夫

なぜ「最近の若者は日本語が通じない」と感じるのか

「言ったのに伝わらない」「常識が違う」と感じる場面は、年齢を重ねるほど増えてくるように思います。

しかし、それは決して若い世代が日本語を理解していないのではなく、
「同じ言葉でも“育ってきた環境”が違うため、受け取り方が異なるだけ」 なのだと感じています。

言葉の意味が“変化”しているだけかもしれない

たとえば「検討します」という言葉を取り上げてみます。

シニア世代にとっては「前向きに考える」という意味合いが強いですが、若い世代にとっては「いま判断できないので保留します」というニュアンスに近いことがあります。

また、「了解です」という表現はシニアには軽く聞こえても、若者にとってはごく一般的なビジネス語になっています。

つまり、「言葉自体が時代とともに変化し、重みや使われ方が異なっている」のです。

シニア世代がまず認識すべき「世代間の前提の違い」

私たちシニア世代が若い頃は、「上司の指示を汲み取るのが部下の責務」という文化がありました。

しかし現代では、「説明してもらえれば正確に動ける」という考え方が一般的です。

「説明がない=不安」と考える若い世代と、「説明しなくても察してほしい」と考えるシニア世代では、コミュニケーションの前提がそもそも異なっているのです。

よくある世代間ギャップの事例

「8時10分前」の解釈違い

「8時10分前」と聞いて、多くのシニア世代は7時50分を思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし、2025年6月25日に放送された「めざましテレビ」の調査によると、若者の半数以上が「8時10分前」を「8時から8時9分の間」と解釈していることが明らかになり、大きな話題となりました。

シニア世代にとっては「8時から10分引いた時刻」でも、デジタル世代は「8時10分の直前」と捉えるケースが増えているようです。

このように時間表現の解釈一つとっても、世代による受け取り方の違いが浮き彫りになっています。

「すぐやっておいて」のスピード感

シニア世代は「今すぐ、1〜2時間以内の対応」をイメージしますが、若者は「今日中にやれば良い」という認識で動きがちです。

スピード感の前提が違うと、双方にストレスが生まれます。

 段取りの考え方

シニアは「まず全体の段取りを整える」スタイルが多いですが、若い世代は「まず着手し、必要に応じて修正する」という傾向があります。

どちらが正しいわけでもありませんが、仕事の進め方が違うため誤解が生まれます。

「メモを取る」行動の意味

シニア世代にとって「メモを取ること=必須の社会人スキル」ですが、若い世代はスマホの写真やチャット履歴で情報を補完することが多いです。

「メモを取らない=やる気がない」ではなく、手段が変わっただけなのです。

「報連相」の頻度

シニア世代は細かい報告を安心材料としますが、若い世代は「細かすぎる報告は逆に迷惑だろう」と考えます。

報告の基準を共有しない限り、すれ違いが続きます。

仕事の優先順位

シニアは「組織方針を優先」しますが、若い世代は「担当業務を優先」する傾向があります。

「指示に従わない」のではなく、「優先基準が違う」だけなのです。

誤解を防ぐための“具体的な説明”という習慣

世代間ギャップは、日本語力の問題ではありません。
ただ単に 前提や価値観が違っているため、説明が足りないだけなのです。

だからこそ、シニア世代が取り入れたいのは、次のような「具体化」の習慣です。

◯  あいまいな表現ではなく、数値や期限を具体的に伝える
◯  到着時間・提出期限・優先順位をはっきり共有する
◯  相手がどう理解したか確認する
◯  「どう思う?」「どんな手順で進める?」と意見を聞く

これらを行うことで、誤解が驚くほど減り、コミュニケーションがスムーズになります。

互いに歩み寄るコミュニケーションへ

紹介した事例でわかるように、世代によって「普通」の基準や考え方は大きく異なります。

その違いを理解し、「どうして伝わらないのか」ではなく、「どんな前提で理解したのか」を考える姿勢が大切です。

シニアも若者も、決して相手を否定しているわけではありません。 ただ、違う時代を生きてきただけなのです。

まとめ:理解は説明から始まる

結局、コミュニケーションを円滑にする鍵は「丁寧な説明」にあります。
曖昧な言葉を避け、誤解の余地がないよう具体的に伝えることで、多くのすれ違いを防ぐことができます。

「若者は日本語を知らない」のではありません。「世代が違うから理解が違う」だけなのです。
だからこそ、シニア世代が率先して具体的に説明し、理解の橋をかけることが求められています。

その一歩こそが、「新しい日本語力」なのだと私は感じています。

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