なぜ会議で「正義の味方」が増えると、しょうもない決定が下されるのか――太田肇『なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がされるのか』に学ぶ
はじめに:優秀な人たちが集まる会議ほど、なぜ結論がくだらなくなるのか
勉強会仲間から「日本の組織の病理に鋭くメスを入れる面白い本がある」と勧められ、手に取ったのが太田肇氏の著書『なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がされるのか』でした。
現役時代、企業で組織を率いてきた私にとっても、このタイトルは身につまされるものがありました。
役員も部長も課長も、一人ひとりは極めて優秀で、学歴も実績も申し分ない「賢い人たち」です。
ところが、その賢い頭脳が10人、20人と大きな会議室に集まって議論を重ねると、なぜか出てくる結論はどこまでも無難で、前例踏襲で、誰の腹も痛まない「しょうもない決定」になってしまう。
そんな光景を、皆さんも一度や二度は目撃し、あるいは当事者として加担してしまった経験があるのではないでしょうか。
本書は、その謎を「日本人の精神論」で片付けません。
「日本人は集団主義で従順だから」というありがちな説明をあっさりと否定します。
むしろ、古いOSのまま動いている日本の組織の中で、個々人が自分の領域や立場を必死に守り抜こうとした結果、極めて合理的かつ適応能力を発揮した行動をとっているのだ、と説くのです。
今、部下を束ね、経営と現場の板挟みに悩む現役の管理職にこそ、この構造のからくりを知ってほしいと思います。

なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか 身近な疑問からみる日本型組織の「無駄の構造」
太田肇 著
「正義の仮面」をかぶった保身――否定形から入るベテランたち
組織で新しいプロジェクトや新規事業を立ち上げようとするとき、決まって起きる現象があります。
会議の場では、誰一人として「私はこの方針に反対です」「面倒だからやりたくない」とは言いません。
表向きは全員が賛成の姿勢を見せながら、こう切り出すのです。
「この方針自体は大変素晴らしいと思います。ただ……AとBとCの観点から懸念が残ります。本当に大丈夫でしょうか?」
一見すると、会社のリスクを未然に防ごうとする忠誠心溢れる発言に見えます。
しかし、その言葉の裏にある本音は何でしょうか。
「そんなもの無理に決まっている」
「今まで積み上げてきたやり方を勝手に変えられては困る」
「余計な仕事や責任を増やされたくない」
つまり、自分の権利や居場所を守るためのエゴが、「会社のための慎重論」という正義の仮面をかぶって現れているのです。
日本の組織では、意思決定の「中身の正しさ」よりも「組織内部の人間関係の平穏」が優先されます。
誰かの顔を潰さないか、波風が立たないか、前例を壊さないか。私利私欲を隠し、滅私奉公のふりをしながら、損得勘定を冷徹に計算する――この人間の生々しい二面性を直視しない限り、どんなに立派な経営改革も空回りに終わります。
尖った新人を「無難な社員」に丸める同調圧力と裏の評価基準
毎年春になると、目を輝かせた新入社員や、他社で実績を上げてきた尖った中途採用社員が入ってきます。彼らは当初、「ここを変えたい」「新しいやり方を試したい」と意気揚々と声を上げます。
しかし、半年も経つとどうでしょうか。
すっかり角が取れ、毒気を抜かれ、周囲の顔色をうかがう「普通の社員」に仕上がってしまいます。
彼らを丸めてしまうのは、目に見えない同調圧力です。
「あいつ、ちょっと尖りすぎて浮いてるよな」
「意識高い系かよ」
といった冷ややかな言葉が、若手の尖りをじわじわと削り落としていきます。
そして悲しいかな、管理職である私たち自身が、無意識のうちにその片棒を担いできました。
人事評価の表向きの基準には「主体性」「チャレンジ精神」と書いておきながら、裏の基準では「自分にとって都合が良いかどうか」「指示通りに動いて波風を立てないか」を見てしまう。
「一緒に働きたい人」という耳触りの良い言葉の正体は、自分を脅かさず、自分と似た価値観を持つ人間という個人的な好みに過ぎないのです。
これでは、いくら経営陣が「多様性(ダイバーシティ)」を叫んだところで、職場の均質化が止まるはずがありません。
なぜ管理職はこんなにも忙しいのか――「村の掟」を維持する社内調整
世の管理職は、誰もが殺人的な忙しさに悲鳴を上げています。
しかし太田氏は、「本来のマネジメント(戦略立案や部下の育成・動機づけ)に割かれている時間は、全体のわずか2割程度に過ぎない」と指摘します。
では、残りの8割は何に費やされているのか。それは雑務と、果てしない社内調整です。
根回し、関連部署への事前の言い訳、会議のための事前すり合わせ、言葉遣い一つの配慮――。
日本の組織という「共同体(村)」の平和を乱さないために、対人関係のメンテナンスに膨大なエネルギーが消費されています。
村八分を恐れるあまり、少しでも異なる意見を持つ者は排除され、濃密すぎる人間関係ゆえに不正や不条理があっても「見て見ぬふり」をする。
この強固な村社会を維持するための仕事に追われ、肝心の事業成長やイノベーションに手が回らないのだとしたら、これほど本末転倒な話はありません。
「お腹が減っても『待て』ができる犬」の限界と、これからの「猫型」社員
こうした閉塞感を打ち破るヒントとして、著者が提示するのが「犬と猫」の対比です。
これが実に秀逸で、読めばハッとさせられます。
これまでの日本企業を支えてきたのは、まぎれもなく「犬型社員」でした。
犬は飼い主(上司や会社)に従順で、命令に忠実に従います。
「待て」と言われれば、どれほど腹が減っていてもじっと我慢して合図を待つ。
かつての高度経済成長期や、規格通りの製品を大量生産する時代においては、空気を読み、指示通りに均質に動いてくれる犬型組織は極めて強固でした。
しかし、何が正解かわからない現代の知識創造社会において、指示待ちで忠誠心だけが高い社員ばかりでは、環境変化に対応できません。
日本企業の生産性がOECD諸国の中で低迷し続けている根本原因も、いまだに従順な犬型社員ばかりを重宝し、評価し続けている点にあります。
表向きは従順に尻尾を振っていても、心の奥底では言いたいことも言えず、やりたいこともできず、社員のエンゲージメント(仕事への自発的熱意)は冷え切っているのです。
いま求められているのは、「猫型社員」です。
猫は他人に過度な媚びを売りません。
自分のペースと美学を持ち、身の回りのこと(トイレの後始末)は自分でこなす。
組織に依存せず、自律しているからこそ、自分の得意な領域で爆発的な集中力とパフォーマンスを発揮します。
もちろん、猫を犬の飼い方で従わせることはできません。
無理に首輪をつけて引っ張れば、逃げ出してしまうでしょう。
社員を本来の「猫型」として活かすためには、命令と服従のピラミッドではなく、オープンでフラットな対等関係が必要です。
管理職が過剰な管理や介入を手放し、個々人が自発的に動ける環境を整えること。
部署単位の強制参加の飲み会を廃止し、行きたい人が自発的に集まる場に変えていくような小さな改革も、その第一歩と言えます。
スポーツ界の強豪に学ぶ「自主性」――帝京大・関学大・青学大の共通点
「そんな自由奔放な猫型ばかりで、組織として本当に結果が出るのか?」と疑う方もいるかもしれません。
しかし、すでに日本のスポーツ界のトップシーンでは、猫型のマネジメントが圧倒的な成果を叩き出しています。
大学ラグビーで連覇を重ねる帝京大学、アメリカンフットボールの絶対王者である関西学院大学、そして箱根駅伝で圧倒的な強さを見せる青山学院大学。
これらの名門チームに共通しているのは、かつての体育会にありがちだった「監督の鉄拳制裁やトップダウンの絶対服従」ではありません。
選手自らが課題を見つけ、練習メニューや戦術を議論し、個々人の自主性を極限まで尊重するマネジメントです。
指導者の役割は、上から指示を叩き込む「統制者」ではなく、選手の気づきを引き出し、自走を促す「触発者」へと変化しています。
昭和的な犬型規律から脱却し、個の自律と多様性を信じたチームこそが、現代の激戦を勝ち抜いているのです。
おわりに:犬型だった私が、これからの時代を生き抜くために
著者の太田氏は、最後に「部下を持ったら、まず猫を飼ってみなさい」とユーモアを交えてアドバイスしています。
振り返ってみれば、私自身、幼い頃から犬が大好きでした。学校から帰ると駆け寄ってきて、嬉しそうに尻尾を振る犬に癒やされて育ちました。
そしてビジネスの世界に入ってからも、知らず知らずのうちに自分自身が忠実な「犬型社員」として生き、管理職になってからは部下を「犬型」に育てようとしていたことに気づかされます。
現役時代、部下とのコミュニケーションを重視し、心理的安全性を高めようとあれこれ試行錯誤した記憶があります。
しかし、今にして思えば、それもすべて「犬型の枠組みの中」で、いかに波風を立てず仲良しチームを作るかという努力に過ぎなかったのかもしれません。
長年染み付いた昭和のマネジメントOSを、一朝一夕に「猫型」へアップデートするのは簡単ではありません。しかし、正解のないこれからの時代、上意下達の犬型組織が限界を迎えていることは火を見るより明らかです。
現在、組織を離れて個人として活動する私の周囲には、犬型の人もいれば、見事なまでに自分軸で生きる猫型の人もいます。
これからは、意識して猫型の人たちとの対等なお付き合いを増やし、自分自身の内なる「猫」を解放していきたいと考えています。
リーダーの仕事は、号令をかけることではありません。
少数意見にじっと耳を澄まし、部下が自発的にアイデアを口にできる環境を整えること。
太田肇氏のこの本は、私たちが当たり前だと信じ込んできた「昭和型マネジメントの大前提」を打ち砕き、次の一歩を踏み出す勇気を与えてくれる一冊です。

