『感傷は僕の背骨』を読んで——定年を過ぎて「懐かしい街」の記憶をたどるとき
はじめに:新聞記事で見かけた、一冊の本
2026年8月1日の朝日新聞の書評欄をぼんやり眺めていた時のことです。
一冊の本の紹介が目に留まりました。
タイトルは『感傷は僕の背骨』。著者は世田谷ピンポンズさん。
正直に言えば、最初はそれほど強い興味を持ったわけではありませんでした。
しかし、ある単語を目にした瞬間、私の指が止まりました。
「吉祥寺」
その街の名前を見つけた途端、胸の奥で小さなスイッチが入る音がしました。
気がつけば私は、スマホを取り出し、Amazonの購入ボタンを「ポチリ」と押していたのです。

感傷は僕の背骨 世田谷ピンポンズ 著
拓郎や陽水しか知らなかった私と、世田谷ピンポンズさん
著者の世田谷ピンポンズさんは、現在47歳のフォークシンガーとのこと。
申し訳ないことに、私はこの本を手にするまで、そのお名前を存じ上げませんでした。
私にとって「フォークソング」といえば、中学生の頃に姉の部屋から流れていた音楽です。
吉田拓郎、井上陽水、小室等、さだまさし、高田渡……。1970年代のメロディこそが、私の知るフォークの世界でした。
私より20歳ほど若い世田谷さん。世代も違えば、生きている時代も違う。
そんな彼が、あのフォークという表現を通じて、どんな視点で吉祥寺や高円寺という街を描いているのだろうか。
期待と少しの不躾な好奇心を抱きながら、届いた本のページをめくりました。
「吉祥寺」「高円寺」という街の磁力
本の中に描かれていたのは、著者自身の思い出や、青春の記憶でした。
吉祥寺も同じく、ライブハウスでのバンド活動を中心とした苦い青春の舞台として登場します。
本文を読み進めるうちに、私の頭の中には、かつて歩いた街の風景が鮮明に浮かび上がってきました。
アーケードがどこまでも続くサンロードの匂い。
季節ごとに表情を変える井の頭公園の池と木々。
そして、煙とタレの香りが漂う「焼き鳥 いせや」の賑わい。
私にとって吉祥寺は、高校時代の通学路そのものでした。
部活動の運動部で汗を流し、息を切らしながら井の頭公園をランニングした日々の景色。
部活が終わり、恐れ多かったOBの先輩に連れられて、「いせや」で煙に巻かれながら焼き鳥をごちそうになったこと。
ページをめくるたび、世田谷さんの音楽活動の記憶と、私の運動部時代の記憶が、ジワリと重なり合っていくのを感じました。
音楽と運動部——形は違えど、重なるあの日々
世田谷さんが追っていたのは「音楽」であり、私が追っていたのは「汗と楕円のボール」でした。
抱いていた目標も、置かれていた環境も、まるで違います。
しかし、若さゆえの根拠のない万能感と、それがいとも簡単に打ち砕かれる挫折感。
何者かになりたくて必死にもがいていた、あの特有のヒリヒリとした空気感。
それらは、音楽だろうと運動部だろうと、何一つ変わりません。
世田谷さんの描く吉祥寺の風景を通じて、私は自分自身の「青い感傷」を、何十年ぶりかで思い出していました。
私たちはいつの間にか大人になり、会社で論理や成果、効率を求められる日々を送っています。
「感傷」を表に出さず、冷静に、淡々と責任を果たすことが求められる立場です。
しかし、この本を読み終えた今、強く感じることがあります。
あの頃、吉祥寺の街で感じていた悔しさや、喜びや、理由のない焦り。
そうした「理屈にならない感傷」の積み重ねこそが、今の自分という人間の根っこを作っているのではないか、と。
おわりに:感情こそが、大人になった私たちの「背骨」だ
本のタイトルである『感傷は僕の背骨』という言葉が、最後に胸に響きます。
日々の業務に追われ、組織の板挟みになりながら懸命に働く40代、50代の私たち。
ともすれば、自分の感傷に蓋をして、組織の倫理だけで立とうとしてしまいがちです。しかし、感傷を失った背骨は、きっと折れやすい。
「自分はあの街で、どんな感傷を持って生きていただろうか」
久々に、休日にでも吉祥寺の「いせや」へ足を運び、煙に巻かれながら近所の大親友のH君を呼び出してみようか。そんなことを考えています。

