私のキャリアとインドとの関係の始まり
【シリーズ①】特定技能でインド人自動車整備メカニックの日本就業へのいきさつをお伝えします。
長年の海外勤務経験を経験し、私は次の挑戦としてインドへの赴任を望みました。
この記事では、その願いがどのように叶い、そしてインドでの経験が私のキャリアと視野をどのように拡げたのかを紹介します。自動車会社でのアフターセールス担当として、インドの文化の多様性と急速な経済発展の中心で働くことは、私にとってとても価値がある体験でした。
インドへの道: 勤務先での新たな挑戦
自動車会社勤務の時、アメリカ、タイと海外駐在をする機会がありました。
その後、6年ほど海外勤務の機会が無かったので、上司との面談時に
「私はインドに行きたいです」
と伝えました。
以前、インドには数回出張したことがありました。
内容は業務支援で1週間程度でしたが、なにか「蟻地獄的」な引き込まれる魅力を感じていました。
また、経済的には大きく伸びており、「経済が伸びる=会社の収益が上がる=事業拡大への予算確保がしやすい」というシンプルな方程式が当時はありました。
上司は、
「そんな個人の希望が叶うって思ってないよね!」(と否定文でした)
翌年の1月、突然上司から呼ばれて会議室で
「昨年、インドに行きたいって言ったよね! 覚えているでしょ!」
「はい、覚えてますけど、そんな個人の希望が叶うとは思っていませんので」(と拗ね気味に)
「言ったこと覚えていてよかったよ。4月からインドに行ってください。
これ内々示だけど、決定しているからね~」
とのこと。
そして2007年4月にインドに赴任となりました。
インド赴任:インドの多様性
インドでは、自動車会社のアフターセールスを担当しましたが、インド各地の販売店を訪問し、そこでのサービス状況を改善するアドバイスをしました。
各地を周り、各地の食事を食べ、各地の風景を見ることができました。
このことで「インド」国とは、一つの国ではなく、地域(東西南北)、仕事(カースト絡み)、文化、言葉が全く異なる地域の集合体であることがわかりました。
歴史的には、各地でマハラジャ(王侯)がいた名残で、北インドと南インドは言葉が異なるため、北インド出身のインド人部長さんと一緒に南インドに出張すると、インド人同士でも「共通語としての英語」での会話があり、インドの奥深さを感じます。
8世紀以降、ムガール帝国が力を失うと、その代わりにイギリスがインドを支配下に置くようになります。 イギリスは各地の王侯をそのまま温存しながら、 間接統治するシステムを作りました。それが藩王国です。1947年にイギリスの支配が終わった時、藩王国の数は584もあり英領インドの面積の45%を占めていたといいます。
職場で役立つインド雑学
インドでは連休などを利用して、インド世界遺産(文化遺産、自然遺産:当時23箇所)をすべて訪問することができました。各地でガイドさん、運転手さん、宿のオヤジさんなどに親切にしてもらい、さらにインドを知ることができました。
そして、駐在してから4年後の2011年4月に帰国しましたが、東日本大震災・311直後で混乱の日々でした。
その後自動車会社から物流会社に移りましたが、2018年4月に2度目のインド赴任の機会がありました。
変わるインド: 新たな学びと発見
2度目のインドでしたが、7年経過したインドは(全くとは言いませんが、かなり)異なった状況でした。
- 交通渋滞が少ない
- 日本食料理屋さんの数が増えている
- 立派なショッピングモールが増えている
- メトロ(地下鉄)網ができた
デリー・メトロ(英: Delhi Metro, Delhi Mass Rapid Transit System (MRTS))は、インドの首都デリーおよびその近郊に路線網を持つ地下鉄である。路線は9本あり、総延長約348.77km、駅は252に達し世界屈指の規模となっている。地下鉄とはいうものの、高架橋や地平区間が多く、純粋な地下駅は少ない。
Wikipedia
- 交通渋滞の原因は、交差点でした。
信号無視をする車が多くて渋滞していましたが、そこが高架となり、信号がなくなりました。 - 日本食屋さんが増えました。
2007年当時は私が済んでいた東デリーでは、日本食料理屋さんが1軒しかなく、毎夜駐在員がインド人ウエイターさんに、箸はこちらにおいて、ごはんと味噌汁はこう置いてね!と「教育的指導」をしていました。
その後コロナ禍となり、インドでは感染が急速に広がり、モディ首相が2020年3月25日からコロナ対策としての戒厳令が発令され、自宅待機の日々が続きました。しかし、そこでも新しいインドを知ることができました。
コロナ禍のインドでは、外出禁止が続き、この時間をどうにか有効に使えないか・・
と思っていた時に、宮森千嘉子さんが主催するCQ(Culture Quotinet:異文化研究)を学ぶ機会があり、さらにインド文化を深く理解することができました。
そして2021年10月に帰国となりました。